公衆衛生医師のキャリアパス
東京都の公衆衛生医師は、原則として課長代理(係長)級として採用され、主に東京都、特別区、八王子市及び町田市の保健所に配属されます。その後原則 2、3年で異動し、様々な部署で多様な経験を積んでいきます。
将来的には、組織の管理職・長として、都における公衆衛生行政の指導的な役割を果たしていきます。
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行政職員としての基礎を固めるとともに、専門職として、保健医療・福祉分野の幅広い専門知識・技術をもとに医学的・公衆衛生学的判断を行います。保健師、衛生監視、栄養士、事務など多職種と連携して仕事を進めていきます。
臨床研修
修了
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本庁や保健所の課長、保健センター長として配属され、事業の企画、立案、実施、進行管理等、管理職としてマネジメント業務を行います。議会対応やメディアとの交渉も行います。
課長代理級
2年以上
医歴9年以上
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本庁部長や保健所長として配属され、組織の責任者として中・長期的、実質的見地から、実効性のある施策を展開していきます。
課長級8年以上
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東京都の公衆衛生医師のトップとして、大局的な視点を持ち、保健衛生行政に関する重要な施策の推進・判断を行います。
部長級3年以上
先輩医師のキャリア紹介
成田 友代 医師
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1994年 板橋区板橋保健所主査時代
入職後、都の保健所を経て、特別区の保健所に勤務し、主に結核等感染症対策を担当しました。保健師さんと一緒に、結核患者さんのご自宅や事業所を訪問し、日常生活等、お一人お一人の状況を把握した上で、服薬支援やご家族への健診等を実施しました。病院、福祉部門等関係機関が連携して支援することの大切さを知ることができました。主査の頃の現場での経験はかけがえのないもので、今も仕事を進める上でその時の教訓が活きています。
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1999年 練馬区桜台保健相談所長時代
管理職1年目、住民に身近な保健サービスを提供する保健相談所の所長として勤務しました。管理職になると、事業の進行管理や職員管理、議会対応等新たな役割が求められます。保健相談所で行われている健診や生活習慣病予防教室等の事業は医師会や歯科医師会等地域の関係機関の方々のご協力により実施されており、管理職として関係機関との連絡調整の進め方を学ぶ大切な機会となりました。
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2003年 中央区保健衛生部(保健所)
健康推進課長時代
当時、アジアを中心に原因不明の急性肺炎としてSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行していました。中央区で都内初のSARS疑い事例が発生したため、直ちに現場に赴き、個室隔離や情報収集を行った上で、感染症指定医療機関への搬送調整を行いました。接触者の方々への健康状況の聴取や、マスコミ対応等、保健所職員が一丸となって対応しました。 最終的にはSARSは否定されましたが、職員の方々と無事危機を乗り越えられたときの喜びは格別であり、課長時代の大切な思い出となっています。
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2006年 多摩立川保健所
保健対策課長時代
多摩立川保健所勤務時の2006年8月に、厚生科学研究(新興・再興感染症事業)「効果的な結核対策に関する研究」の一環として、低まん延国における結核対策の現状視察を目的にアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ市、ジョー
ジア州アトランタ市を訪れ、結核対策の実施状況及びCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の役割などを中心に情報収集しました。
「初発患者及び接触者との信頼関係の構築」をモットーに接触者健診が進められていることが印象的であり、これは万国共通の基本精神であるということを再認識しました。
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2011年 福祉保健局担当部長
(医療政策部医療安全課長事務取扱)
時代
医療安全課では、医療法に基づき、都内病院の開設許可や医療法人の設立認可等の業務を行うとともに、立入検査等を通して病院の医療安全管理や院内感染対策行っています。当時、都内の病院では初めての薬剤耐性アシネトバクターによる院内感染の発生がありました。この際、課長職として、課内の医師や看護師等の医療職と事務職員による多職種チームと共に各病院を訪問し、病院スタッフと連携して感染拡大防止に取り組みました。
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2013年 世田谷保健所長時代
保健所の業務全てを統括する立場となり、食品衛生や環境衛生等、自らが職員として経験したことのない業務についても指示を行わなければなりません。世田谷区は都内で最も人口の多い自治体であり、デング熱の国内感染事例への対応等、貴重な経験をさせていただきました。健康危機発生時には、組織のトップとして、迅速な方針決定と必要な指示が求められますし、区長にも説明を行いご理解いただく必要があります。初めての保健所長職ということもあり、緊張の連続でしたが、区政の重要な健康施策に携わることができ、大きなやりがいを感じていた頃でもあります。
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2018年 福祉保健局保健政策部長時代
東京都全体の保健政策に係る企画・立案を所管する部署の部長として、健康づくり施策、がん予防等に取り組みました。ちょうど東京2020大会を2年後に控え、受動喫煙防止条例の立案・施行過程に関与したのですが、今まで経験したことのない仕事であり、無我夢中で対応しました。都議会で条例が成立したときのことは今でも忘れられません。都における受動喫煙対策の歴史的一歩を踏み出す場面に携わることができたことはかけがえのない思い出となっており、街中で飲食店の店頭に掲示された「禁煙」のマークを見るたび、懐かしく思い起こしています。
杉下 由行 医師
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1999年 都立広尾病院臨床研修時代
国家試験合格後、広尾病院での研修を開始しました。研修医同士、とても仲が良く、常に研修医医局で一緒に過ごしていました。皆で腕を出し合い留置針の手技を覚えたり、処方箋の書き方がわからず見よう見まねで覚えたりとそんなことが懐かしく思い出されます。一方で、検査オーダーのミスや診察のやり直しなど失敗したことは今でもよく覚えています。広尾病院は島しょ医療も担っており、島での代診医としての勤務は大変得難い経験となりました。
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2003年 感染症対策課課務担当係長時代
ちょうどSARSが海外で流行し、非常に緊迫感のある中で対応に当たりました。課の保健師さんと一緒にSARS相談用のQ&Aを作成したのが最初の仕事でした。当時の課長が24時間体制で疑い患者の検査を行う仕組みのことを「東京SARSアラート」と名付けましたが、これが「東京感染症アラート」として今に引き継がれています。何事にも迅速性が求められ大変忙しい職場ではありましたが、自分で仕事を組み立て、優先順位を付けて進めていく力を養うことができたと思います。
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2007年 国立感染症研究所派遣研修時代
実地疫学専門家養成コース(FETP)は各自治体に感染症対応の専門家を配置する目的で国立感染症研究所に作られ、このコースで2年間学びました。感染症対策は経験に頼ることも多く、体系的に学ぶ必要があると考えていました。ステップに則ったアウトブレイク対応、サーベイランス情報の評価を学び、WHO西太平洋事務局での短期勤務も経験。国立保健医療科学院とのジョイントコースで研究も行い、公衆衛生修士を取得。FETPで学んだ技術とここでの人間関係は、今でも大変役立っています。
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2009年 島しょ保健所小笠原出張所
副所長時代
出張所は父島にあり、所員は計7人、都内で一番小さな保健所です。広尾病院で一緒に働いていた先生が父島診療所に同時期に赴任されていて、病院時代のつながりが役立ちました。医療と保健の連携の中で島民の健康が守られており、診療所からの報告で感染症等を探知することも少なからずありました。年に数回、健康相談や小規模企業健診実施のために母島へ。小笠原は世界自然遺産にも登録され、豊かな自然を肌で感じることができる場所でもありました。
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2011年 健康安全研究センター
疫学情報室副参事研究員時代
感染症法に基づく都内保健所からの患者報告を週次でまとめる業務を担当。FETPで学んだサーベイランスデータの収集、集計、解析、対策に従事する人への還元という一連の流れを理解した上で、データを扱えるようになりました。また、東京都実地疫学調査チームを立ち上げ、感染症に関わる人材育成を目的に保健所職員向けの研修を開始。毎週、保健所、健康安全研究センター、本庁が感染症情報を共有する仕組みも整え、感染症発生動向等を共有する場として今に続いています。
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2014年 中央区福祉保健部(保健所)
健康推進課長時代
中央区保健所は都市型保健所発祥の地として由緒ある保健所です。ここでは、新型インフルエンザ行動計画を策定し、隣接する聖路加国際病院と一緒に患者対応訓練を実施しました。また、予算、人事、議会対応など管理職として多くの経験
を積みました。予算要求では、現状と課題を踏まえ、改善策を検討し、区民への貢献度並びに費用対効果を常に意識することが重要と教わりました。内外の意見も取り入れ、広い視野で総合的に判断していくことの重要性もここで学びました。
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2020年 福祉保健局新型コロナウイルス
感染症対策
担当部長・感染症危機管理担当部長時代
新型コロナウイルス感染症発生当初はワクチンも治療薬もなく、今までに経験のない事態が次々と発生しました。保健所の負担を解消するために夜間入院調整窓口を設置して、そこで一括して入院調整をできるようにしました。また、新型コロナウイルス感染症対策の司令塔となる「東京iCDC」の立ち上げも担当。都民の命と健康を守るという想いで、懸命に取り組んだ毎日でした。
※医師の所属等は、2023年3月時点のものとなります。
研修制度
入職後、公衆衛生行政に必要な知識を習得できる体制が充実しています。毎月開催される課長代理(係長)級公衆衛生医師・歯科医師専門研修のほか、国立感染症研究所(FETP-J)、国立保健医療科学院等への派遣研修や、感染症分野での海外研修(マヒドン大学)制度もあり、様々な経験を積むことができます。また、社会医学系専門医制度「TOKYOプログラム」を整備しており、専門性の向上を図ることもできます。
課長代理(係長)級医師専門研修 月一のキャリアアップ研修
月に一度、課長代理(係長)級を対象として、感染症、精神保健、母子保健等における専門研修を実施しています。職務に必要な知識を得られるだけでなく、入職同期や入職時期の近い医師との親交を図ることもできます。
<ある一年の例>
研修第1回目は、新規採用職員向けのオリエンテーションや、他部署の先輩医師とともに、文書事務など行政実務の基本的な知識を学びました。
結核予防会結核研究所から講師をお招きし、結核読影の演習をします。結核読影は係長級(課長代理)医師の業務において大きな比重を占めるため、研修により基礎を学びました。
健康安全研究センターが開催する「実地疫学調査研修」を聴講し、感染症法をはじめとした関連法令やその背景、感染症疫学の基本を学ぶことで、感染症対応の土台を固めました。
今後のキャリアアップを見据え、国立保健医療科学院で講師履歴のある方をお招きし、「組織管理」を学びました。監督職としてマネジメント知識の習得も欠かせません。
行政医師としての総合力を身につけるため、幅広い業務分野の知識を得ることも大切です。島しょ地域の公衆衛生活動、東京都のHIV対策、難病対策を学びました。
感染症分野で関連のある検疫所の施設見学をさせていただいており、この年は空港検疫所を訪問しました。検疫業務を理解し、感染症対策に関する知見を深めました。
食肉の衛生検査、施設の監視・指導を行う芝浦食肉衛生検査所を訪問しました。関連施設の仕事内容を知り、交流を図ることは、食中毒等の健康危機発生時等における連携体制の構築に役立ちます。
被災地域への派遣者から現地での活動内容や課題について報告がありました。教訓から衛生部局職員が果たすべき役割を学びました。
監察医務院における死因究明情報は、保健所を含めた保健・医療機関に還元されます。施設見学を通じ関連施設の業務に関する理解を深めました。
管理職になった際に求められる議会対応や人事管理を学びました。また、医療安全事故の事例や都の対応を知り、行政医師の業務範囲の幅広さを実感する場となりました。
各保健所で発生した結核に関連する事例を持ち寄り、対処方法や課題を共有しました。自分が経験した事例だけでなく、他の職員が経験した事例を知ることは、今後の貴重な糧になります。
都民の生命・健康を守る科学的・技術的拠点の健康安全研究センターを訪問しました。保健所が業務上関わることの多い施設ですが、見学を通じ具体的なセンターの役割を知ることができました。
社会医学系専門医の研修プログラム
~TOKYOプログラム~
東京都では公衆衛生医師の仕事をより魅力ある、やりがいのあるものとすることを目的として、社会医学系専門医を養成するための専門研修プログラム「TOKYOプログラム」を整備しています。
採用された公衆衛生医師は、希望によりTOKYOプログラムの専攻医になることができます。
専門医となるためには、基本プログラムの履修に加え、3年程度の研修において主分野「行政・地域」と副分野「産業・環境」及び「医療」における研修を通じ、職務遂行能力、専門知識・技能を習得していきます。
ライフ・ワーク・バランス座談会
東京都では、育児や介護をはじめ生活と仕事の両立ができる職場づくりに向け、全管理職が「イクボス宣言」を毎年行うなど、ライフ・ワーク・バランスの両立を推進するための様々な取組を行っています。
仕事の生産性を上げて、家族と過ごす時間や自らを高める時間も大切にする。こうした時間が、明日への活力を生み出し、東京の持続的な成長を可能にします。
現在、公衆衛生医師として、生活と仕事の両立を実践している医師のみなさんにお話を伺いました。
妊娠・出産・育児に関する制度で利用した制度はありますか。
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村田:部分休業を夕方に30分利用し、9時から17時15分まで勤務しています。まだ子どもが5歳なので、発熱などで保育園を欠席してしまい仕事を休まなければいけないことがありますが、有給休暇とは別に、子どもの看護休暇が年に5日まで取得できるため、ありがたいです。
中坪:私も昨年、子どもが別の時期にそれぞれインフルエンザになってしまった際は、子どもの看護休暇をフル活用しました。
杉山:私は、子どもが保育園に通っていたころは、育児短時間勤務の制度を利用し、1日の勤務時間を4時間55分に短縮したり、部分休業を利用したりしていました。また、子どもが熱を出したり、予防接種を打つときには、子どもの看護休暇を使っています。
渡邊:入職時、子どもは小学校高学年であったため、私自身は制度を利用していませんが、職場には産休や育休を取得している職員や、皆さんのように日々やお子様の体調不良時に育児との両立のための制度を利用し勤務している職員がいます。最近では男性職員の育休取得者も増えてきています。
中坪:確かに男性職員でも育児等に関する制度を利用しやすい環境だと思います。私は、出産支援休暇を利用し、第1子の出産に立ち会うことができました。
また、現在の私の職場は、原則8時30分始業なのですが、勤務時間を変更できる制度を利用し、今は9時30分から勤務開始しています。2人の子どもを送り出してから出勤できるので大変助かっています。
※東京都の休暇等制度について、詳しくはこちら
(都の制度であり、配属先自治体により内容が異なる可能性がございます)
お子様が生まれたことで、時間の使い方は変わりましたか。
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中坪:子どもが生まれるまでは、仕事のために時間が犠牲になることは「やむを得ない」ことだという意識が多少ありましたが、子どもが生まれた後は、「時間には限りがある」、「子どもへの緊急対応ができるのは親だけで代替なし」という考えのもと、より効率よく進行管理し、業務遂行する意識が高まりました。
村田:私もそうです。夫と交代で保育園の送迎を行っていますが、子どもの迎えの担当の日は、就業時間には仕事が終わるように計画的に仕事を行っています。
渡邊:私もできるだけ家庭での生活リズムを一定に保てるように、帰宅時間を意識して業務の予定を立てています。ただ、どうしても急な予定が入り帰宅が遅くなることもあったため、子どもが小学生の頃は民間学童等の放課後の預け先を複数確保し、外部のサービスを積極的に活用しました。
杉山:子どものおかげで、勤務時間とプライベートの時間のメリハリがつくようになりました。勤務時間中は勤務に集中できますし、退勤後は、家のことに集中しています。家の中のことについても、自分1人で行うことは効率化・短時間化し、子どもと一緒の時間は、できるだけゆとりが持てるように意識しています。
子育てと仕事の両立のため、工夫していることはありますか。
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村田:子どもが急に熱を出してしまうこともあるため、その際は自宅保育をしながら仕事ができるよう、テレワークの申請をしています。
杉山:今年度は初めて取り組む仕事が多かったので、特にスケジュール管理・進捗管理を意識しています。私の現在の職場では、スケジュールを供覧できるので、できるだけ職場のスケジュール帳に入力しています。
中坪:スケジュール管理は大切ですよね。私も子どもの急な発熱等で休まないといけない可能性が常にあるため、〆切案件は可能な限り早めに仕上げるように心がけています。
渡邊:私は帰宅したい時間から逆算し、業務の優先度をつけて一日の予定を組み立てています。皆さんもおっしゃっていますが、時間がないからこそ、効率が上がるように業務工程を工夫することで、生産性の向上につなげています。また、仕事を継続するにあたり、家族からの仕事への理解を得るのは大切なことと考えています。ありがたいことに息子が高校生となった今では、料理などの家事をサポートしてくれるようになりました。
一同:それは素晴らしい!
職場の上司や周囲の方からの理解やサポートを感じることはありますか。
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中坪:私の勤務時間変更に伴い、例年9時開始の定例会議を9時30分開始に変更いただけました。また、急な子どもの発熱等でもスケジュールを調整したり、会議の司会を代わってもらうことにより、看護休暇を取得できています。また、職場内で調整し、子どもの授業参観や通院など、平日の日中に自分の時間を確保することができました。
杉山:私の職場の上司や同僚のみなさんも、小さい子どもがいながら働くことを理解し、応援してくれます。平日の勤務時間外に及ぶ業務や土日の業務、家族の体調不良による急なお休みや子どもの行事による有給休暇についても、みなさんが配慮してくださるので、本当にありがたいです。
渡邊:私も新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い緊急事態宣言が発出され、子どもの小学校が休校になった際に、リモートでも業務ができるように上司が業務内容について配慮してくれたので、安心して仕事を続けることができました。
ご自身がリフレッシュするための工夫はされていますか。
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杉山:子どもが小さくてなかなか自分の時間が取れないので、子どもが楽しむ時間を、一緒に自分が楽しめる時間にできるように、子どもの興味があることに関する本を読んで知識を深めたり、逆に自分の興味があることに子どもを誘って一緒に楽しんだりしています。
渡邊:私は、最近ピラティスを楽しんでいます。流行りに乗って始めてみたのですが、自分のための時間に集中できる上に心身共にリフレッシュできるので習慣化しています。
中坪:私は、夏場の休みの日は、4時前に起きて趣味の鉄道写真を撮りに行き、気持ちをリフレッシュしています。子どもたちが活動する時間までには帰宅して、家族サービスもできるように心がけています。
公衆衛生医師を志して、または続けていて良かったと感じる時はありますか。
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村田:臨床医の頃と比べて、オン・オフがはっきりしているためライフ・ワーク・バランスがとりやすいです。
渡邊:私も臨床医の頃よりも時間管理がしやすく、仕事のオン・オフがはっきりしているため、家族との時間や自分の時間を楽しめるようになりました。子育てを含む実生活での様々な経験が公衆衛生医師としての仕事につながっているように感じています。
杉山:行政の仕組みについての理解が深まりました。また自分自身の成長につながる機会も多く、子育てと両立して仕事を続けていきたいと思います。
中坪:私も日々の業務にやりがいを感じています。地域での健康づくりの取組、がん検診における根拠に基づく検診の意義や精度管理の重要性、感染症対策において詳細な聞き取りにより、誰も気づいていない感染源を推測し、予防につなげる取組などは、様々なフィールドと多彩な経験を積める東京都の公衆衛生医師でないと体験できないと、つくづく感じています。
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中坪:近年、医師の働き方改革に注目が集まり、「業務」と「研修」の曖昧さからトラブルになる事例を報道で見聞きしますが、特に東京都の若手の公衆衛生医師においては働きやすい環境が整っており、いわゆる「サービス残業」に相当する不本意な時間外労働はないと思います。自らの生活と両立しながら、医師としての専門性を生かしつつ、「公衆衛生」という臨床医とは異なるフィールドで働くことで、思いのほか楽しい人生が待っていると思います。
村田:東京都は公衆衛生医師の採用人数も多く、研修なども充実しています。他地域の保健所では、医師が1人しかいない場合もあると聞きますが、東京都では保健所には2人以上の医師が配置されていますので、臨床医から転職する場合でも働きやすい環境にあると思います。みなさまのご入職をお待ちしています!!
渡邊:最初から公衆衛生医師を志している人だけでなく、臨床や研究を経験してきた方も、その経験や知識を活かし、公衆衛生分野でキャリアアップできると思います。私の場合は小さな好奇心からのスタートでしたが、今ではミクロ(個人)とマクロ(集団)の視点を切り替えながら様々な課題にアプローチできることにやりがいを感じています。
杉山:現在勤務している保健所の公衆衛生医師の仕事は、地域の健康課題に対して、地域の実情に応じた課題解決を考える仕事です。やりがいがあるだけでなく、日々新しい発見と気づきがある面白い仕事と感じています。ぜひ、一緒に公衆衛生医師として働いてみませんか。