現在17歳のお子さまを持つお母さまが、体験談を書いてくれました。
わが家の次女は現在、支援学校(病弱部門)高等部2年生です。次女を妊娠、出産した時の経過は順調でしたが、生後11日目に急変し産院から隣市の小児病院へ救急搬送され、先天性心疾患が判明しました。今は、とても安定している状態ですが、それまでの治療経過は紆余曲折でした。
生後約3週間で大動脈縮窄の拡大と肺動脈絞扼の手術を受け、その後一時退院しました。しかし、複雑な心臓形態の為中々安定せず心不全の悪化や、肺高血圧等の問題が起こり生命に危険な状態が続きました。先の見えない不安は大きく、我が子に最善の治療を受けさせてあげたいと模索する中、転院を2回ほど決断しました。生後8カ月でダムス・ケー・スタンセル吻合術、2才5カ月でグレン手術、3才で大動脈ステント留置、4才でフォンタン手術を受けました。
3カ月いた ICU生活の影響もあり、発育や発達の顕著な遅れがありましたが、グレン手術後に体重が増え始め、歩行も出来るようになりました。同時に、言葉や様々な面で急速な発達が見られるようになった時の喜びは忘れられません。初めて我が娘にも希望の光が見えたような気持ちでした。フォンタン術後はチアノーゼもなくなり、地元の幼稚園にも通い始め活発になりました。
一安心したのも数年で、段々と不整脈や疲労感が現れました。また、体の成長と共に大動脈が再狭窄し、11才で大動脈内のステント切断と修復術を受けました。半年後には原因不明の胸痛や強い吐き気の症状が出て、ペースメーカを装着してからはずっと安定しています。
退院後の自宅生活でも娘の体調管理には様々気をつけてきました。徹底した感染予防や脱水予防のこまめな水分補給、寒暖差による配慮や心内膜炎予防の為の口腔ケア等です。また、自転車に乗る事や公園などでの外遊びが大好きだった娘はワーファリンを服薬していたので、「頭を強くぶつけないように」と本人にも話し、十分に気をつけてきました。
さらに、生涯病気と付き合いケアが必要なので自立していけるように小さなころから少しずつ親が働きかけていく大切さを感じています。本人が自身の病気を良く知る事、服薬管理等です。娘は医療に興味があったのもあり、自ら10才頃には、6種類ある薬を自分で管理するようになりました。学校生活では運動制限があった為、病気の事をよく理解して適切な配慮をしていただけるように先生方には娘の状況を丁寧に伝える事を心がけました。行事の参加の仕方などもよく話し合いました。そして、年齢が上がるにつれその都度、体調や発達面を考慮しながら、最適な教育環境を選択してきました。
小学3年生までは普通学級に在籍していましたが、次第に教科によってのアンバランスが見られるようになり4年生からは通級学級に週1回通い始め、その様子を受けて思い切って5年生から隣の小学校にある支援学級へ転校しました。娘のペースで学ぶことが出来た支援学級の学校生活は、とても 楽しく過ごすことができ中学3年生まで在籍しました。
今の支援学校(病弱部門 高等部)の進学も娘の体の状況や将来の事を考え選びました。学校では今、学年で1人なので勉学面では個別授業の様な手厚いサポートをして頂いていますが、友達がいないのはとても淋しいようです。放課後は学校から徒歩数分の寄宿舎で過ごし、週末に自宅に戻ります。規則正しい生活や栄養バランスの取れた食事メニュー、日々、運動を心がける事の大切さなどは、寄宿舎生活を通して娘自身が少しずつ自覚してきたように感じます。また自分で洗濯や掃除をし、身の回りのことを管理するので自立に向けてのステップとなっています。学生時代は、親や周りの大人から本人の気持ちに寄り添った支援を受けていますが、社会に出てからは本人が発信しなければ配慮される事は、まずあり得ません。自身の病状と体調をよく把握して周りの方に理解して頂けるように自分から伝える事が大事になってくるのではないかと思っています。
最後に、病気を持ちながら生活する人が安心して住み続けていくには、社会のサポートがまだまだ充実していません。本人と家族にとって、心のケアも非常に大切だと痛感しています。医療のみではなく、行政、福祉、ハローワーク等の連携で生活全般の切れ目のない支援を心から願っています。