川勝弘之さん(現在67歳)
私は脳梗塞の経験者です。まず発症した時の様子をご紹介します。発症は2004年9月27日(日)の朝4時頃で当時48歳でした。二階の寝室にて、朝方、喉がカラカラに渇いて目が覚めました。そして一階の冷蔵庫のペットボトルの水を飲みに行こうとベッドから起き上がろうとした瞬間に異変に気付きました。左腕に全く力が入りません。そのあと立ち上がろうとしたら今度は左足を支える床が無い感覚で、まるで水槽の中の蛸のようにふにゃっと左前方に倒れこみました。完全に左半身が麻痺していました。倒れこんだ物音に妻が気付いてくれて駆け寄り、やがて長男もやってきて私をベッドに座らせてくれました。ここで一点参考知識です。あまり知られていないのですが、脳梗塞は前兆としてまた発症時に頭痛を感じないのです。またどこも痛くありません。ある研究では、脳梗塞を発症した95%の人が頭痛を感じなかったと報告されています。一方くも膜下出血は激しい頭痛を伴うのですが、脳梗塞はそのような痛みなどが無いのです。なお脳梗塞では血管が詰まり脳が障害を受け、身体機能や言語機能に影響を及ぼします。このため半身に全く力が入らない、言葉が出てこないなど、これまで経験したことが無いような身体の異変が起きます。私もその通りでした。
私の発症時のMRI画像
このように、脳梗塞発症時に頭痛などの痛みを感じないことが多いため、力が入らない等の症状が収まれば大丈夫だろうと様子を見がちです。私自身も発症して倒れた後に一瞬ですが立ち上がることが出来ました。それを見た妻も「治った。きっと疲れているのよ。寝ていれば良くなる。」と言っていたほどで、その時私もそう思いました。病院に行けば、時間やお金がかかるし、手術で痛い思いもしたくありませんから、多くの人は敬遠するのでしょう。
正にこの時点でそのまま様子を見るか、救急車を呼ぶか、その一瞬の判断が、生きるか死ぬか、社会復帰できるかどうか、その後の本人と家族の生活を大きく変える『人生の分かれ道』なのです。私の場合、妻や長男が「救急車を呼んだほうがいい」と判断してくれて病院へ搬送されました。早く病院に行ったおかげで、今でも歩きにくさはあるものの重篤な後遺症は残っていません。リハビリに励んだ後、2カ月後には会社に復帰することができました。
京都東山区の永観堂禅林寺の本堂に向かう回廊にある魯迅の言葉。
脳卒中発症時は人生の分かれ道。
復帰後、活発に動き回る私の姿を見て周りから「脳梗塞をやったのに大丈夫?」と心配する声をいただきました。これは脳梗塞の知識が少ないがゆえの誤解です。脳梗塞によって脳細胞の一部が壊死しても、別の脳細胞に教え込ませることで、失った機能は回復します。これがリハビリテーションの目的です。社会生活そのものがリハビリテーションです。可能な限り、むしろ動いたほうが良いと思います。周りの人々は残念ながら脳卒中の知識をあまり持ちません。このために「脳卒中のことは分からないけれど」と前置きした上で「危ないからじっとしていてね。お大事に」とよく言われました。しかし動くことを止めてしまうと、なかなか回復することが出来ないのです。
主治医は私に対して「日常生活で動かないと回復しないからね」と教えてくれていましたが、やはり周囲は再発するのではと心配しました。そんな中、退院後2カ月で苗場スキー場に行く機会が出来ました。そこで先生に相談したら「スキーが好きなんですね。やったら良いですよ。ただし骨折だけは気を付けて下さい」と条件付きですが許可をいただき、診断書に『スキー大丈夫です』と書いてもらいました。こうやって大好きなスキーに行くことが出来ました。もちろん脳梗塞の後遺症がありますから初心者のごとく注意深く滑るなど病気前の滑り方は出来ませんでした。でも転んでも立ち上がり、何回も滑れたことで『よし出来た』と大きな達成感、満足感が得られました。その時に思ったのです『さて次は何をしようか』と。人間は心に灯がつけば一生懸命になれます。その後も、過去に出来たことの中でもう一度やってみたいと欲したことにひとつひとつ取り組むことで、しっかりと回復の階段を上って来たと感じています。
日本医療政策機構での講演会の写真
元気に復帰できている様子
まずは生活習慣に気を付けて特に食生活には注意することで脳卒中にならないようにしてください。元気と健康は違います。過信は禁物です。
そして脳卒中になられた方がこの記事を読まれていたら、あきらめないで今まで出来たことに勇気と自信を持って取り組んで欲しいと思います。