救ってもらった命を大切に、一歩、一歩 

現在13歳のお子さまをもつお母さまに体験談を書いていただきました。

  • 2010年3月 0歳で両大血管右室起始を経験

 先天性心疾患を持って生まれた我が家の長男は、現在中学2年生です。2010年3月に両大血管右室起始症で生まれ、産院から直接榊原記念病院に緊急搬送されました。生後1カ月のシャント手術後に急変し、3日間ECMOを装着した経験がありますが、その後のグレン手術、フォンタン手術とも順調に進み、現在、心臓の状態は落ち着いています。

生まれてすぐに榊原記念病院に緊急搬送されました。

 術後は他の子と変わらず毎日保育園にも通えていましたが、4歳の時に2度のてんかん発作を起こし、東京都立小児総合医療センターにも通院することになりました。年長になる頃には周りの子と比べて成長が遅いのではないか?と感じ、保育園の先生に相談したこともありました。保育園の先生は「問題ないですよ。」と言ってくれましたが、5歳年上の姉と比べてもやはりちょっと気になることが多かったです。親の感覚としては、息子の成長に半年~1年くらいの遅れを感じていました。ただ3月生まれということもあったので、同級生と比べたら遅いのは当たり前?と考えてみたり、自分ではなかなか判断できずにいました。

NICUで初めての抱っこ

 親の感覚は正しかったようで、小学校入学を目前に控えた頃、市の教育委員会の巡回相談員さんに勧められ、就学相談を受けることになりました。結果、心臓病のこと、やや成長がゆっくりであること、年齢より幼いことなどを指摘され、小学校は特別支援学級に通うことになりました。

 心疾患がありながら運動制限は何もなかったので、学校行事や体育などは担任の先生と相談しながら参加しました。担任の先生はとても理解ある方で、運動会前には「50mを思い切り走らせても大丈夫ですか?」とか、水泳の時は「水温、気温が高くても、お日様が出ている時だけにしましょうか?」など、細やかに配慮してくださいました。運動制限がないとはいえ無理はさせられないので、そうやって担任の先生と相談しながら一緒に見守って行けたことはとても心強かったです。勉強につまづきを見せ、学校に行くのを嫌がっていた時には一緒に息子の好きなポケモンバトルをして、息子に付き合ってくださいました。こうして先生やお友達に恵まれ、あまり体調を崩すこともなく、6年間楽しく過ごすことができました。

七五三は、何度も神頼みをした神社へ

 小学校を卒業後、中学校でも特別支援学級に通っています。引き続き運動制限はないので、行事や体育は全て参加しています。小学校の時と違うのは、体がきつい時は自分から意思表示できるようになってきたところです。中学校のプールは水深が深いので体が冷えやすく、みんなより先に水からあがったり、マラソン大会では友達は皆5キロコースを走るのに「5キロは辛いから3キロコースに変えてほしい。」と自ら先生にお願いするなど、自分の体力の限界を自覚してきたようです。

 勉強面では小学校入学当初から遅れがあったので、ずっと放課後等デイサービスで学習支援をしてもらっています。途中行くのを嫌がった時期もありましたが、今ではがんばって週3回通っています。そのおかげで、通常学級の生徒には追いつけませんが、支援学級の勉強には余裕をもって取り組めています。

中学校の運動会ではリレーにも参加できました

 中学2年生になってからは、高校進学について少しずつ考えるようになりました。高校には小中学校で過ごしてきたような特別支援学級がないので、学校選びが難しいと感じています。基本的には就職を目標にした特別支援学校に行くべきか、あるいはエンカレッジスクールやチャレンジスクールなどで進学の可能性を残すべきか・・・?

 特別支援学校卒業だと正式には高校卒業資格がないということも気になります。心疾患があることで、大事な選択を通常より早く決めなくてはいけないのか?と悩みは尽きません。高校受験まであと1年。色々な分野の方に相談しつつ、本人に合った学校を選んでいきたいと思っています。

 生まれてすぐに大きな手術を何度も乗り越え、多くの方に助けていただいた命です。当時のことを話してもあまり実感は湧かないでしょうが、少しずつ理解できる年頃になってきました。

 これから大人になって、親のサポートなしでも生活できるよう自立していかなければなりません。まずは自分の病名・飲んでいる薬の名前が言えること、自分の体はどこまでなら大丈夫なのかを知っておくこと、体調が落ち着いていても通院はずっと続けることの大切さなど、折に触れ話すようにしています。

そして今後も周りの人に感謝の気持ちを忘れず、これからも一歩一歩歩んで行ってほしいと願っています。