村林信一さん(現在81歳)
期外収縮等の不整脈は50歳代の頃からあり、血圧降下剤と抗不整脈薬の処方を受けるため、月に1度程度、勤務先に近い医療研究センターに通院していましたが、胸に時々不快感が有る程度で特に大きな自覚症状は有りませんでした。
2002年の10月半ば、朝から体調不良で熱っぽい感じが有り、昼過ぎから動悸を感じましたがそのまま仕事を続けました。夜、帰宅しても動悸は治まらず血圧を測ったところ、上が80で脈拍は150を越えました。不安になり近所のクリニックに行きましたが、息止めや首筋のマッサージをする程度で、「対処の方法が無いので病院へ行った方が良い」と言われました。それでも、処方されている抗不整脈薬のサンリズムは1日3回まで服用可能と助言され、頓服的に服用して少し治まり、ウトウト程度眠りました。
翌朝、医療研究センターに行き主治医の診察を受けましたが「病院は24時間開いているのでもっと早く来るべきだ」と言われました。心電図をとり点滴をしましたが治まらず、救急用のベッドで電気ショックをかけてようやく治まりました。
頻脈に対処する為、1週間後に同病院に入院し、翌日カテーテルアブレーションを受けました。事前の検査で「ホルター心電図のデーターを見ると、睡眠中に25秒程、鼓動が止まっている期間が有るので、洞不全症候群の疑いがある」と言われました。
その後、医師よりペースメーカーの装着を勧められ、実物を見せられましたが、そのような物が有る事は知っていましたが、自分の事として考えた事は有りませんでしたし、何か最終兵器、最後の手段の様なイメージがあり、これでもう終わりなのだと落ち込みました。家族は直ぐに手術の承諾をしましたが、本人にはためらいがありました。家に帰ってインターネットで色々と検索してみましたが、実感は湧きませんでした。
命を支えてくれたペースメーカー
左が2002年10月~2010年5月まで支えてくれた最初のペースメーカー右が2010年5月~2018年9月まで、
それ以降3台目は現在体内で稼働中取り出したペースメーカーは医療廃棄物なので、充分注意して保管することを条件に希望者に渡される
手術は1時間ほどで終わり、ペースメーカー生活が始まりました。一生外す事のない機械が身体に植込まれ、古来人の心が宿ると言われていた心臓が電池で動かされるのですから、SFの世界です。
生活は一変しました。ペースメーカーは左胸に植込まれましたので、道路は左側を歩きました。自転車などにぶつかると大変だと思ったからです。心房細動は治まりませんでしたのでワーファリンを飲みました。出血を恐れ床屋さんでは髭剃りを断り、家に帰ってシェバーで剃りました。携帯電話も脅威と聞きましたので、なるべく空いた電車の優先席付近を選びました。宴席等で鍋物が出たときは電磁調理器から遠い席を選びました。今では笑い話ですが、当時は真剣でした。
大きな変化は、患者会に入会したことでした。即購入した「Q&A集」や隔月で発行される会誌を読んだり、講演会・勉強会に参加する事で、注意すべき事や安心に繋がる情報を得ることが出来ました。例えば、手術直後、ペースメーカーの植込まれた側の左手は、あまり大きく動かさないようにと注意され、左手を庇った為か左肩が痛くなりました。これはQ&Aの定番質問で、心配しなくても自然に動かして、半年も経てば治ると書かれていましたが、本当に半年で痛みが消え驚きました。
必死に読んだ「Q&A集」
もっと参考になったのは、懇親会や談話会でした。先輩患者の体験に基づく対処法などが直に聞け、シートベルトを装着するときやザックを背負うときの保護方法を教わりました。何より、皆さんが元気で普通に生活していることに驚き安心を得ました。
情報交換会(懇談会)
体験や得られた情報を話し合う会
私の場合など、頻脈の治療の中で、突然ペースメーカー植込み手術を受けさせられた感じで、ありがたみを感じませんでしたが、良く考えれば、寝ている間に心臓が止まっている時間がかなり有った訳ですから、就寝中の突然死でかたずけられる可能性がかなりあったはずです。めまいや失神が有っても、耳鼻科に回されたり、脳外科でたくさんの検査を受けても原因が分からなかったり、酷い例では、てんかんと診断されてその薬を長く呑み副作用で苦しむ中、たまたま同席した循環器の医師が心臓を疑い、ペースメーカーにたどり着いた人もいます。私は、かなり幸運だったのだと、感謝しております。